凡人の投資

何ら才能のない凡人のセミリタイア論

解脱序章

人口が減っていく、成長が望めない社会で何を理想とするべきか。

美しき衰退がその答えだ。

 

凡人の一生というのはこのようなものだ。
生まれ、学校に通い、死ぬまで働き、死ぬ。
 
多くの人は働き始めると自由の少なさに驚愕する。そして慣れ、麻痺する。
成長する社会ならよかった。努力すれば収入は上がっていくし、定年退職後は年金が与えられ悠々自適。
今は違う。年収はあがらないし、あがっても税金としておさめるのみ。
楽観主義者でも一流企業に就職し年金で悠々自適のライフプランなど思い描けないだろう。
 
成長する社会においては成長を目指す生活がいい。
衰退する社会においては衰退を目指す生活がいい。
これが世の摂理だ。
ぼくはこの大きな道筋がみえてから突然に労働、投資、住居、食事にいたるまで日本における正しい生き方がみえてきた。
 
なんにせよ生活、これがもっとも重要。あれも買いたい これも買いたい、金が増えたらこう使おう。
こう思ってるうちは金が貯まることはないし、また贅沢というのは思うよりも早く慣れるもの。毎日一万使うものはそれが当然になるだけで幸福は感じないものだ。
 
資本主義社会で労働者に自然と刷り込まれていった価値観がある。
金を持ってるやつはカッコいい。
金をいっぱい使うやつはカッコいい。
 
成長社会においてはうまくいった。大量消費大量生産を奨励し、金をたくさん使うことを目指すだけでまるで車輪がまわるがごとく経済がよいループに入る。
だが衰退社会においては時代錯誤である。
多数の人間が老人化し若者の支えを必要とする社会において大量消費社会などいかにも非合理的だ。勇気ある後退が必要だ。
 
金を使わずに幸せになれるやつはカッコいい。
 
この価値観である。生活の食事、住居、公共費にいたるまで工夫を凝らし、満足にいたる。このスキルを節約スキルと呼ぼう。
 
重要なのは節約スキルを駆使し満足にいたることである。不満を残さないこと。金など幸せに生きるための1ツールなのだから使わずに幸せになれるならばそれはそれにこしたことがないのである。